バイオテクノロジー

エクソン・バルディーズ号事故の概要

バイオレメディエーションが実際の油汚染された海岸に使用された例は、これまでに幾つか報告されています。しかし、そのほとんどは小規模で試験的なものであり、また科学的なデータがきちんと取られておらず有効性を確認できないものが多いのが現状でした。そんな中、バイオレメディエーションが初めて大規模に実施されたのが、エクソン・バルディーズ号事故の対応です。

1989年に起こったエクソン・バルディーズ(Exxon Valdez)号事故は、米国史上最大の石油流出事故となり、アラスカに甚大な被害をもたらしました。この事故によって汚染された海岸線は約2000kmにもおよび、この広範な海岸を従来通り方法でクリーンアップするのは大変な作業であると思われました。そこで、エクソン社とアメリカ環境保護局(UnitedState Environmental Protection Agency: US-EPA)は、クリーンアップに当時研究中だったバイオレメディエーション技術を試してみようと考えたのです。実施されたバイオレメディエーション試験は119kmの海岸線に及ぶ大規模なものとなり、その有効性と安全性を評価するために詳細な科学的データがとられました。

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エクソン・バルディーズ号以前のバイオレメディエーション

油汚染された海岸の浄化に微生物の力を利用するという考えは以前からあり、1970年代後半頃からは実際の海岸に油を流した流出事故模擬実験でその効果が試されるようになってきました。ノルウェーのスピッツベルゲン(Spitsbergen)で1976年から始められた実験は、そのような模擬実験のうちでも最も初期の頃に行われた実験の一つです。1978年にフランスで起こったアモコ・カディズ(Amoco Cadiz)号事故の後に行われた研究では、自然界における流出油の減少に微生物分解が大きな役割を果たしていることが明らかにされ、バイオレメディエーションに対する期待はより大きなものになっていきました。この事故の際には、実際に油汚染された海岸に栄養剤や微生物を散布するバイオレメディエーション試験も行われました。このときには、観光シーズンが近づき、できるだけ早くクリーンアップを終える必要があったために、試験は数日間で打ちきられて中途半端な結果に終わってしまいましたが、おそらくこれが実際の石油流出事故でバイオレメディエーションが行われた最初の事例でしょう。

その後、カナダのバフィン島(Baffin Island)やノヴァ・スコチア(Nova Scotia)でも流出事故模擬実験が行われ、また1985年にノルウェー、スピッツベルゲンのキングス湾(Kings Bay)で起こった小規模な軽油流出事故の際にもバイオレメディエーション試験が行われました。これらの初期の頃に行われた主なバイオレメディエーション試験を【表1】にまとめました。これらの試験はサンプリング方法やコントロールの設定に問題のあるものもありますが、結果は総じてバイオレメディエーションの有効性に対して肯定的なものになっています。こうした過去の試験結果が、エクソン・バルディーズ号事故での大規模試験へと繋がっていくのです。

【表1】初期の主なフィールドバイオレメディエーション試験
石油の種類 海岸の種類 処置 結果 / 微生物 結果 / 油分解
模擬試験
スピッツベルゲン (ノルウェー) 1976-1983 Forcados原油 不明 栄養塩 呼吸量増加 促進
  不明 Statfjord原油 Inipol EAP22 全菌数増加 促進
  不明 軽油 ラグーン Inipol EAP22 全菌数増加 促進せず
バフィン島 (カナダ) 1980-1983 Lago Medio原油 砂利 農業用肥料 分解菌数増加, 呼吸量増加 促進
ノヴァ・スコチア (カナダ) 1985-1988 SSC原油, Hibernia原油 農業用肥料 分解菌数増加 促進
  1989 Tera Nova原油 砂, 塩湿地 農業用肥料 違いなし 促進
  1984-1985 SSC原油 Inipol EAP22, 微生物 ほとんど違いなし Inipolのみ 促進せず / Inipol+微生物 促進
  1990 Tera Nova原油 栄養塩 農業用肥料 活性上昇促進
N63.5 ゜, E 7.5゜  (ノルウェー) 1983 Statfjord原油 不明 Inipol EAP22 水溶性栄養塩 全菌数増加促進
流出事故
アモコ・カディズ号  (フランス) 1978 Arabian Light原油
Iranian Light原油
親油性栄養塩, 微生物+栄養塩,
農業用肥料, タルク
違いなし 促進
キングス湾 (ノルウェー, スピッツベルゲン) 1985 軽油 砂利 Inipol EAP22 全菌数増加 促進

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事故の概要

北極海に面するアラスカのノース・スロープ(North Slope)油田は、米国で生産される原油の約1/4を産出する巨大な油田です。ここで採掘された原油は、アラスカ半島を縦断する全長800マイルに渡るパイプラインを経由し、油田から最も近い不凍港、バルディーズ(Valdez)へと運ばれます。原油はこのバルディーズの港からタンカーで出荷されるのです。最初のタンカーが出航した1977年以来12年間、バルディーズの町は石油産業の拠点として栄え、バルディーズが位置するプリンス・ウィリアム(PrinceWilliam)湾では原油を積載したタンカーが何事もなく行き交ってきました。しかし、1989年3月23日にバルディーズから出港した一隻のタンカーによって、米国史上最大と言われる石油流出事故が引き起こされたのです。

そのタンカー、エクソン・バルディーズ号は、1989年3月23日午後9時15分、125万バレルのプルドー・ベイ(Prudhoe Bay)原油を積み、カリフォルニアの精油所を目指してバルディーズ港を出港しました。しかし、出港して間もない24日午前0時4分、バルディーズの南西約40km に位置するブライ・リーフ(Bligh Reef)でバルディーズ号は座礁、11個のタンクのうちの8つに裂け目が生じ、積載していた量のおよそ1/5にあたる約25万8千バレルの原油が海上に流出しました。流出した原油は潮の流れに乗って南西へと向かい、プリンス・ウィリアム湾およびアラスカ湾の約2000kmに渡る海岸を汚染していきました。

この事故はアラスカの自然や産業に甚大な被害をもたらしました。プリンス・ウィリアム湾は渡り鳥の通過飛来地として知られ、海生哺乳類や魚類の豊富な野生の楽園でした。付近の川にはサケが遡上し、ニシン漁などの漁業も盛んに行われていました。エクソン・バルディーズ号から流れ出た原油は、楽園に住む多くの生き物を油まみれにし、10~30万羽の海鳥、数千頭の海生ほ乳類、数百羽の禿ワシを殺してしまったのです。流出油は漁業にも大きな影響を及ぼし、アラスカ環境保護局は、その年のプリンス・ウィリアム湾における漁獲を制限せざるを得ませんでした。

エクソン社がこの事故のために支払った費用は膨大なものとなりました。初期清掃防除費用として20億ドル、漁民への補償として3億ドルを支払い、今後10年間にわたる環境回復基金として9億ドルを支払いました。その他、裁判費用など諸々の費用を含めて約32億ドルを費やしたとエクソン社は見積もっています。

エクソン・バルディーズ号事故は、被害の大きさ、費やした費用の面からも米国史上最大の石油流出事故となりました。この事故をきっかけに、合衆国政府は石油流出事故に対する対策の見直しを行うことになったのです。

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事故への対応

事故への緊急対応

タンカー運行会社との契約により、事故に最初に対処する義務を負っていたのはパイプラインを管理するアレイスカ(Alyeska)社でした。しかし、アレイスカ社は事故に対応できるだけの十分な装備を備えておらず、油の封じ込めや回収作業は遅々として進みませんでした。流出油を封じ込めるためのオイルフェンスが現場に到着したのはその日の夕方になってからであり、油は既に広範囲に拡大し始めていました。結局、アレイスカ社は事故に対処することができず、防除作業はエクソン社の責任で行われることになります。エクソン社は多くの機材を投入して油を回収しようと試みましたが、ようやく現場の体制が整い始めた3日目の夜に暴風雨が到来、激しい雨と風が翌朝まで続き回収作業は中断状態に追い込まれてしまいます。暴風雨が去った後に作業が再開されましたが、暴風雨によって海水と激しく撹拌された流出油はムース状になって広範囲に拡散し、油回収機材の回収能力を著しく低下させました。物理的な油の封じ込め・回収作業が思うように進まない中、化学分散剤の使用も検討されました。プリンス・ウィリアム湾は化学分散剤の事前使用許可区域でしたが、アラスカ州環境保全局は、使用にあたって化学分散剤の現地における有効性を証明するようエクソン社に求めました。そのため、事故当日の夕方から化学分散剤の現地テストが行われましたが、2日目までは海があまりにも穏やかだったために分散剤と油が混じり合わず、分散剤は効果を発揮することができませんでした。天候が変化した3日目の夕方のテストでようやく分散剤は効果を発揮しましたが、そのすぐ後に訪れた暴風雨のために分散剤の散布作業を行うことができなくなり、暴風雨の去った後は油がムース化してもはや分散剤の効かない状態になっていました。

事故発生後2日目には、海上での油の燃焼試験も行われ約15,000ガロンの油が処理されましたが、暴風雨の後は油のムース化によって水分含量が高くなり燃焼させられなくなってしまいました。

こうして、海上での対応はことごとく失敗に終わり、回収されたのは流出した25万8000バレルのうちのわずか22,000バレルに過ぎませんでした。流出油のうち84,000バレルは蒸発したと考えられましたが、残りの多くはプリンス・ウィリアム湾とアラスカ湾の海岸に漂着し、広範囲にわたる海岸線を汚染していました。4月になると流出油対策は第2フェーズに入り、汚染した海岸のクリーンアップが開始されました。

海岸のクリーンアップ

事故によって汚染された海岸は約2000km にも及ぶ広範囲なものでした。エクソン社は、11,000人以上の人員と1,400隻以上の船舶、80機以上の航空機を大動員してクリーンアップにあたりましたが、1989年の9月までに海岸の浄化を完了することはできませんでした。アラスカは冬の天候が厳しいためにクリーンアップ作業は9月で一旦終了し、作業は1990年の4月以降に持ち越されることになりました。結局、クリーンアップは1992年まで続けられ、1992年6月12日、沿岸警備隊とアラスカ州によって終了宣言が出され、ようやく作業を終えることができました。

クリーンアップは、主に次のような方法を用いて行われました。

  • 手作業による回収
  • 水を利用した洗浄
  • 湛水法(Water deluge)
  • 高圧水流法(Water wash, 60℃の海水が最もよく使われました)
  • 重機による堆積物の移動・掘り起こし

こうした物理的な方法に加えて、化学的あるいは生物学的な新しい方法を海岸のクリーンアップに導入しようという動きがありました。化学的方法では、エクソン社が、岩や石に付着した油を除去するために自社で開発した化学処理剤を使用することを提案しました。しかし、フィールドテストの結果、処理剤と混ざった油の回収が難しいなどの理由から一般的な使用は認められませんでした。一方、生物学的方法であるバイオレメディエーションはエクソン社とEPAによって提案され、フィールドテストの結果、大規模な使用が認められ、広範囲の海岸でクリーンアップに導入されることになりました。

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独立行政法人製品評価技術基盤機構 バイオテクノロジーセンター  バイオ技術評価・開発課(かずさ)
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