バイオテクノロジー

日本における石油流出事故とバイオレメディエーション

日本の事例 -ナホトカ号事故でのバイオレメディエーション-

日本でバイオレメディエーションの是非が議論されたのは、1997年に起きたナホトカ号事故のときです。結局、大規模なバイオレメディエーションは行われませんでしたが、地元の理解を得て、汚染現場で小規模な実験が行われた地域もありました。

ナホトカ号事故の概要

1997年1月2日未明、上海からカムチャッカ半島のペトロパブロフスクに向けて日本海を北上中だったロシア船籍タンカー「ナホトカ号」は、折からの大シケにより、島根県隠岐島の北北東約106kmの海上で船体の破断事故に見舞われました。船体は水深約2500mの海底に沈没、船体から切り離された船首部分は南東方向に向かって漂流し、1月7日、福井県三国町安島沖に漂着・座礁しました。この事故によって、ナホトカ号に積載されていたC重油約19,000kLのうち、約6,240kLが海上に流出、島根県から秋田県に至る1府8県の海岸が汚染されました。

流出した重油は、大シケだった日本海を漂流する間に激しく海水と撹拌され、非常に粘性の高いムース状になっていました。大量の海水を取り込んだために体積も膨張し、冬の日本海の荒天も重なって、回収作業は困難を極めました。海上での回収作業は、油回収船、ガット船、漁船などによって行われましたが、海上で回収されたのは流出油の約14%ほどで、残りの約86%は海岸に漂着してしまいました。事故後早い時期に、沖合で分散剤の散布も行われましたが、あまり効果がなく、地元の反対もあってそれ以上の散布は行われませんでした。

海岸での漂着油の回収は、主に柄杓やバケツを使った人海戦術によって行われました。地元自治体や漁業団体、自衛隊の他、全国から大勢のボランティアが駆けつけ、油回収作業に従事しました。冬の寒さの中、大量の漂着油を前に人手による油の回収は大変な作業でした。

ナホトカ号事故でのバイオレメディエーション

回収作業が続けられる中、国内の幾つかのグループに汚染現場でバイオレメディエーションを試そうという動きがみられました。また、国内外の業者によるバイオレメディエーション剤の売り込みも多数あったようです。こうした動きに対し、水産庁と環境庁(1997年当時)は、2月6日に「ナホトカ号油流出事故の流出油及び漂着油に対する処理剤等の利用について」という文書を配布し、バイオ技術の利用について次のように述べました。

  1. (1)バイオ技術等の活用としては、例えば、石油を分解する微生物を活性化させる栄養剤を使用する方法や栄養剤とともに微生物を散布する方法がある。現場の状況によっては、その有効性が異なり、また、使用方法によっては、栄養剤が窒素、リン酸を含むものであることから、海水の富栄養化が生ずる可能性や微生物の散布による海洋生態系に与える影響の可能性も考慮すること。
  2. (2) このため、今後とも、これらの調査・研究を推進して、その技術的有効性や環境への影響などを明らかにするとともに、実際の使用に当たっては地元漁業協同組合及び自治体等の理解と協力を得ていくこと。

この文書では、バイオレメディエーションを行って良いのか悪いのかは示されていませんが、バイオレメディエーションに対して慎重な姿勢をとっていることは伺えます。バイオレメディエーションを行うかどうかの判断は、地元の自治体や漁協に委ねられましたが、バイオ技術に対する不安感から多くの地域では実施が見送られました。回収作業に追われ、業者の売り込みに対応している暇がなかった、という事情もあったようです。

【表1】ナホトカ号事故の際に実施されたバイオレメディエーション実験
実験地 兵庫県香住町 京都府網野町 福井県三国町
関連団体 柴山漁協 浜詰浦漁協 越前松島水族館
実験場所 無南垣 佐小谷 夕日ヶ浦 塩江コハツメ 水族館敷地内
実施期 7~9月 9~10月 9~10月 5月 2~3月
実施主体 ナホトカ号海洋油汚染 バイオレメディエーション研究会 国立環境研究所 近畿大学 藤田研究室 民間業者 大周*
処理剤 微生物製剤
製品名:テラザイム
(オッペンハイマー社製)
イニポール
EAP22
栄養塩
沖縄の単離菌
微生物製剤
製品名:オイルガーター,カスタムHC
効果 効果有り 装置流出で効果不明 効果有り 波に洗われ効果不明 一定効果有り

*大周は、3月に京都府久美浜町、丹後町でも微生物製剤を散布した。

そんな中、微生物製剤を無償で提供することを申し出たオッペンハイマー・テクノロジー・ジャパンや大周は、地元の理解を得て、1~3月の早い時期から一部の地域で試験的に微生物製剤の散布を行っていました。5月には、京都府網野町が町費で大周から微生物製剤を購入し、汚染海岸での散布実験を行いました。これらの実験は、新聞などで取り上げられて話題となりましたが、比較のための対照区を設けていないなどの問題があり、本当に微生物によって重油が分解されたのかどうかを判断することはできませんでした。一部の新聞報道では散布後数分~数時間で効果が現れたように書かれていたものもありましたが、微生物分解でそれ程早く効果が現れることは通常考えられません。そのような即効性の効果が期待できるのは、界面活性剤のような化学的作用です。9月になると、国立環境研究所や近畿大学も、現地でバイオレメディエーション実験を開始しました。これらのナホトカ号事故後に行われたバイオレメディエーション試験を【表1】にまとめました。以下に、これらのうちの幾つかを紹介します。

ナホトカ号海洋油汚染バイオレメディエーション研究会の実験

兵庫県香住町には1月9日に重油が漂着し、重油の回収作業に追われていました。そんな中、柴山漁協に出入りする地元業者がテキサス大学のオッペンハイマー博士が開発した微生物製剤(テラザイム)を持ち込み、漁協組合長の判断で散布試験が行われることになりました。2月初めにはアメリカからオッペンハイマー博士が来訪し、公開実験も行われました。重油回収作業が収束した後、柴山港漁協ではバイオレメディエーション研究会が組織され、微生物製剤の有効性が検証されることになりました。この研究会にはヤクルト薬品工業、熊本県立大学、昭和シェル石油株式会社、冨士包装株式会社、オッペンハイマーテクノロジージャパンなどが参加しました。

まず、魚類やウニの受精卵を使った安全性試験とフラスコによる分解実験が行われましたが、いずれも良好な結果が得られたため、香住町無南垣の海岸でフィールド実験が行われることになりました。重油の付着した石が海岸から採取され、バスケットに入れられて、海岸の海水の浸かる場所に設置されました。微生物製剤を週1回の割合で振りかけ、8週間にわたって観察したところ、微生物製剤処理をした石の方が重油の付着面積が速く減少していくことが確認されました。このように微生物製剤は一定の効果が認められたものの、製剤の成分が明らかにされなかったため、どのようなプロセスを経て効果が発揮されたのかが明確でないことが、最大の課題である、とされています。

国立環境研究所の実験

環境庁(1997年当時)は、2月27日に「油処理剤及びバイオレメディエーション技術検討会」を発足させ、バイオレメディエーション技術の検討を開始しました。国立環境研究所は6月中旬に現地を視察し、地元関係団体との協議の結果、7月になって香住町佐古谷海岸にバイオレメディエーション実験区を確保することができました。環境庁では過去の実施例の分析から、効果が確認されたのはエクソン・バルディーズ号事故の際の栄養剤散布のみと判断し、佐古谷海岸でも栄養剤散布によるバイオレメディエーションが試されることになりました。栄養剤として使用されたのは、エクソン・バルディーズ号事故の際に使われたイニポールEAP22です。セラミックス製板に現場から採取した漂着油を塗布して現場に設置する方法と、海岸から採集した油汚染石を1m四方の区画に並べて試験区を設定する方法の2通りの方法がとられました。現地での実験は0月10日から開始され、8週間にわたって調査されました。

セラミックス製板の実験では、安全性に対する配慮から、海中や潮間帯など海水に直接接触する箇所に設置された試験板には、イニポールEAP22の散布は行われませんでした。そのかわり、プラスチック容器に汲んだ現場海水に漬け置きしておく方法がとられました。設置した試験板の中で塗布した漂着油に最も変化が見られたのは、このイニポールEAP22を散布して現場海水に漬け置きしておいたものでした。イニポールEAP22を散布せずに海中や潮間帯に設置したものや、イニポールEAP22を散布して陸上(直接海水の影響を受けない)に設置したものでは顕著な変化は現れませんでした。このことから、イニポールEAP22が効果を発揮するためには適当な水分が必要なこと、潮間帯や海中に存在する漂着油も自然状態のままでは速やかな減少は望めないことが推測されました。海岸の油汚染石を1m四方に並べて行った試験では、台風で石が流されてしまったため、効果を確認することはできなくなりました。イニポールEAP22の環境への影響を調べるために、試験区周辺の間隙水中の栄養塩濃度が測定されましたが、陸上から流入する淡水の影響もあり、イニポールEAP22が周辺の栄養塩濃度を上昇させたと断定することはできませんでした。

近畿大学の実験

近畿大学は、9~10月にかけて京都府網野町の夕日ヶ浦でバイオレメディエーション実験を行いました。砂浜に、バイオ区、栄養塩区、未処理区を設定し、バイオ区には沖縄の海水から単離された石油分解菌が散布されました。実験では、バイオ区>栄養塩区>未処理区の順で重油分解速度が速くなっていることが確認されました。

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