化学物質管理

CMC letter No.3(第3号) - [巻頭言]木材は発がん物質?

坂口 正之
独立行政法人 製品評価技術基盤機構
化学物質管理センター 所長

「子供の玩具は安全性を考えて木製のものにした」という話を聞いたことがある。

私は、日本人は古くから木の家に住み、木とともに生活してきた訳であるから、木製のものを使っていれば、安全、安心に決まっている、と単純に考えていた。

ところが、以前、WHO傘下のIARC(国際がん研究機関)の評価で、グループ1(ヒトに対して発がん性が明らかなもの)のリストを見たときに、「木のほこり(Wood dust)」というものが入っていたことに、とても驚いたのである。

「木が発がん性?何かの間違いでは……?」

当時はそう思ったのであるが、これについて少し説明しよう。

木材の粉じんは気管の炎症やアレルギーの原因になるだけでなく、継続的に暴露すると鼻腔がんになることが知られている。英国のハドフィールドとマクベスの報告(1967年)以来、欧州と米国で行われた疫学研究によりヒトへの発がん性が証明され、IARCのグループ1となったのものである。

松などの柔らかい木材ではがんになることは少ないが、ブナや樫などの硬い木材は鼻腔がんの原因になると言われている。また、ノコギリや穿孔機、フライス、ノミなどの工具を用いた製材の工程で発生する木材粉じんに長期間暴露した場合に、しばしばがんになると言われている。

したがって、家具製造業の従事者ががんになる確率は高く、IARCのグループ1には「木のほこり(Wood dust)」とともに、業としての「家具製造業(Furniture and cabinet making)」も入っているのである。

では、なぜ故に木材粉じんが発がん性を有するのであろうか?

呼吸の際に吸い込まれた粉じんが鼻腔に蓄積され、どのようなメカニズムでがんになるのか?

その理由としては、(1)木材に含まれる天然物の発がん性、(2)製材過程で発生する粉じんに付着した化学物質の発がん性、などが予想されているが、良く分かっていないとのことである。

ちなみにドイツでは、「危険物取扱法」で空気中の木材粉じん量が規定値の2mg/m3を超える場合には、フィルター付きマスクなどの呼吸用保護具の着用が義務付けられており、また、1984年以降少なくとも2年以上樫やブナを取り扱う業務(例えば、家具製造業)に従事していたすべての労働者は、健康診断を受診することが義務付けられている。

つまり、海外では木材粉じんによる発がんリスクは相当に懸念されているのである。

さらに、木材には興味深い話がある。

マウスなどを使って化学物質の反復投与毒性試験を行う場合、28日間などの短期の試験であれば、マウスが入るゲージの床はステンレス製の金網である。

これは、マウスの尿や糞がその下のトレイに落ちるように(尿を採取して分析したり、尿量を測定するために)なっているのだが、発がん性などを見る1年以上の長期試験になると、マウスの巣作りなどのために、その床は金網ではなくノコギリくずなどの木材チップを敷く。

しかしながら、困ったことに木材には発がん性があるのである(発がん性の試験で、床敷材の影響でがんになってしまったのでは、評価が出来なくなってしまう)。

実際に杉材の床敷チップは、マウスなどの試験動物のがん発生率を高めることが報告されており、推奨されていない。このため、動物試験用の床敷チップは松材などを加熱し、マウスの発がん性に寄与すると考えられる芳香族成分などの揮発性有機成分を飛ばし、その濃度を減らして使用しているのである。

やはり、木材は有害なのであろうか?

クスノキから抽出される天然物の樟脳は、昔は衣類の防虫剤として多用されていたが、ヒトに対する毒性も強い。このため、戦前は幼児が誤食し死亡する事故が度々あった。

戦後、防虫剤は化学合成されたパラジクロロベンゼンが主体になったが、パラジクロロベンゼンは樟脳より毒性が弱いため誤食による死亡事故は皆無になったと聞いている。つまり、防虫剤としては、樟脳よりパラジクロロベンゼンの方が人に対するリスクは小さいと考えられるのであろうか……。

さて、最初の「子供の玩具は安全性を考えて木製のものにした」という話であるが、もちろん、私もお金があれば木製のものを購入するだろう。

しかしながら、何が何でも天然物なら安全、自然の木材なら安全、化学合成品より天然物が安全で安心、と思い込んでいること自体が大きな間違いであるということも、忘れてはいけない。

大事なことは、普通の生活において木材やその粉じんを怖がることはまったく無いのであるが、ただ木材と言えども、暴露量が大きくなれば発がんリスクなども大きくなるのであって、これは天然物も人工物も同じである。

そういったことを正しく伝えていくことは、とても大事なことだと思っている。

平成18年8月1日付で、前任の重倉光彦所長に代わり、坂口正之所長が着任しました。

お問い合わせ

独立行政法人製品評価技術基盤機構 化学物質管理センター
TEL:03-3481-1977  FAX:03-3481-2900
住所:〒151-0066 東京都渋谷区西原2-49-10 地図
お問い合わせフォームへ